自分の道は、自分で歩く。
行く理由も、行かない理由も、どちらもなかった。
けれど、心のどこかで“行こう”と思った。
それは夢じゃなく、ただの直感。
でも、不思議とその直感を信じられた。
ひとりで決める
学校を出たら、どうするか。
まだ、何も考えていなかった。
そんなとき、たまたま、送出機関が学校に来ていた。
日本へ行くことに、家族は、はじめ賛成しなかった。
それでも、気持ちは変わらなかった。
家では、もともと、これをしなさい、と言われることがなかった。
やがて、家族も言った。
「自分のやりたいことは、やっていいんじゃない?」
記憶の真ん中
子どものころの真ん中には、祖父母がいる。
母は、家で店をしていて、いつも忙しかった。
だから、彼のそばには、いつも祖父母がいた。
太鼓と笛に合わせて、竹で編んだ馬にまたがった踊り手が舞い、むちを打ち鳴らす。
クダ・ルンピン。

おじいちゃんに連れられて、その馬の踊りを見に行った。
踊り手のむちの先が、見ていた彼の顔に当たった。
「だから、いまも覚えているんです。おじいちゃんとの、最後の思い出です。」
おじいちゃんは、そのあと亡くなった。
おばあちゃんは、小さいころから、いつもそばにいてくれた。
一緒に眠り、ごはんを、ひと口ずつ、彼の口まで運んでくれた。
そのぬくもりが、彼にとっての“ふるさと”なのだろう。
父は、遠い島で働いてきた。
海の向こうの、カリマンタン。
子どものころから、ほとんど会うことがなかった。

家では、母と暮らした。
父とは、あまり話さずに育った。
おじのもとで、働いたことがある。
「そこで、気持ちを鍛えました。」
きっちりと、ゆるむ
日本で最初に驚いたのは、一日のリズムだった。
日本はきっちりしている。だがそれは、窮屈とは違う。
「インドネシアと、仕組みが違うので、ちょっと驚きました。日本の人は、何でも予定どおり。時間はきっちり守る。仕事はぜんぶ計算されていて、いいかげんにやらない。」
日本に来る前、動画の中の日本人は、黙々と働く“ロボット”に見えた。
実際は違った。
仕事中は静かに真剣で、休憩に入ると冗談が飛ぶ。
きっちりと、ゆるむ。
日本では、その切り替えを「けじめ」と呼ぶ。

夢は、いまの先に
夢はあるかと聞くと、彼は正直に答えた。
「夢は、考えたことがありません。まだ若くて、経験も少ないので。まだ、見えていません。」
“いま”を丁寧に積むこと。
その先に、自然と形になるものがある。
そういう順序で、生きているように見えた。
ひとつだけ、先のこと
取材の終わりに、ありがとうを言いたい人はいるかと聞いた。
母、おばあちゃん、父、兄。
彼は、ひとりずつ、ありがとうを重ねていった。
最後に、誰にでもいい、伝えたいことを、と頼んだ。
彼があてたのは、父と母だった。
「ここまで育ててくれて、ありがとう。」
「ぼくが帰るまで、死なないで。」
夢は、まだ見えないという人が、
ひとつだけ口にした、先のこと。
竹の馬。顔に当たった、踊り手のむち。
おじいちゃんとの思い出は、あの日で止まっている。
編集後記
海を渡る人には、かなえたい将来や、なしとげたいことが、先にあるものだと思っていました。
だから取材のあいだ、私たちは、彼のことばの奥に、その理由を探しつづけました。
なぜ日本へ来たのか。将来、何をしたいのか。
返ってくるのは、いつも短いことばでした。
「夢は、考えたことがありません。」「まだ、見えていません。」
大きな目標を持っていないのか、まだことばにしていないだけなのか、それは分かりません。
ただ、目標より先に、毎日を送る場所として、この国を選ぶ人もいます。
現場に行き、働き、休憩には冗談が飛ぶ。
彼にとって日本は、何かをなしとげる場所というより、“いま”を暮らす場所なのかもしれません。
その毎日の先に、帰る場所があります。
「ぼくが帰るまで、死なないで。」
おじいちゃんを亡くした人の、短いことばです。
現場で毎日顔を合わせる一人にも、遠くで帰りを待つ家族がいます。
その人が帰る日まで、この国での毎日が、少しでもあたたかいものであるように。私たちは、そう願っています。

